インターネットを支える

鹿児島電子は、
インターネットを支える
光ファイバー・ネットワークを
つなぐ
フェルールという
部品をつくっています。

何の変哲もない小さな部品ですが、
円筒形のフェルールの中心を貫く
0.080~0.125ミリの細い穴が正確に
開けられていなければ、グラスファイバーの
端と端とを正確につなぐことができず、
光通信の効率に大きく影響します。
鹿児島電子は、セラミックスなどの
硬い素材をミクロン単位で精密に加工する
ことによって、
私たちの生活に欠かすことの
できないインターネットを支えています。

職人技を標準化し、
働き方改革を実現

鹿児島電子は、ワークライフバランスを実現するため、仕事のやり方を見直し、工夫を重ねて、匠の技を誰にでもできる技に標準化していくことに取り組みました。また、社員が幾つもの作業を担えるように多能工化も進め、気兼ねなく休暇を取れるようにしました。多くの社員が積極的に複数の作業の習得に努め、今では育児休暇、介護休暇、授業参観や農業繁忙期の休暇などが自由に取れる職場になりました。

働き方改革を実現
働き方改革を実現
働き方改革を実現

生産技術

この規模の会社としては珍しく社内に生産技術者がいます。
製造機械に改良を加えたり、メンテナンスや修理もほとんど社内で行うことができます。こうした生産技術者が、他の社員にもその技術を伝え、メンテナンスができるように教育する役目も担っています。

常に、より効率的な作業が行えるような工夫も怠りません。
例えば、完成したフェルールの中に異物が残っていないかどうかを調べる検査については、以前は1本ずつ針を刺して確認していましたが、針が林立する剣山のような検査器具を作り、一度に450個を検査できるようにしました。
これによって2~3時間掛かっていた作業が10分に短縮されました。

生産技術

Orbrayとのコラボレーション

鹿児島電子は、戦前に森田平司が親族と共に加世田市(現:南さつま市)で宝石の研磨と販売を始めたのが始まりです。戦後は人工宝石の加工に転じ、1979年にOrbrayの前身のアダマンド並木宝石とのコラボレーションが始まります。最初はスケルトン時計の唐草模様の彫り、1985年に現在の本社のある鹿児島県日置郡伊集院町(現日置市伊集院町)にアダマンド並木精密と森田平司商店の共同出資で鹿児島電子株式会社を設立。1989年から現在の主力製品であるフェルールの生産を開始しました。
従来は外径1.25ミリメートルのフェルールが主流でしたが、最近は異なるサイズのフェルールの製造や特殊品の生産も行うようになってきました。

Orbrayとのコラボレーション
Company

会社概要

社名 鹿児島電子株式会社
所在地 〒899-2515
鹿児島県日置市伊集院町竹之山3番地3
TEL 099-278-2181
FAX 099-278-3266
設立 1985年4月
資本金 1000万円
従業員数 60名
代表者 代表取締役社長 和田統
事業内容 光通信用フェルール製造

グループ会社「Orbray株式会社」
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多様な個性が活きる職場づくり

職場における従業員のダイバーシティー(多様性)は職場全体にもよい影響を与えています。
例えば、障害者の雇用には、雇用が義務化される以前から積極的に取り組み、障害のある方たちが生き甲斐を持って働き、自立した生活ができる体制を整えています。会社業務とのマッチングが難しく、多くの障害者を採用することはできません。しかし、障害者が生き生きと働ける場所を提供しようと常に心掛けています。

バスケットボール

数年前、社員がバスケットボールのチームを結成しました。地域のバスケットファンにも広く声を掛け、アフターファイブや週末に近くにある土橋中学校の体育館などを借りて練習をしたり、他チームとの練習試合を楽しんでいます。鹿児島電子はこうした社内の趣味の活動も奨励しています。

薩摩藩の歴史が息づく

鹿児島電子は、鹿児島市の西、日置市の田園地帯にあります。最寄りのJR伊集院駅の前には島津義弘公の勇壮な銅像があります。関ケ原の戦いで豊臣方についた義弘公は、岐阜県関ケ原からの帰路、徳川方と戦いながら命からがら国に戻りました。その苦難をしのび帰国を祝って日置市にある菩提寺の妙円寺で鹿児島三大祭の一つとされる「妙円寺詣り」が毎年10月第4土・日曜日に行われています。
鹿児島電子は1985年にこの創業者ゆかりの地に株式会社を設立、40年近く緑豊かな大地とともに歩んでまいりました。